ハザードマップの外側で、子どもを守る|東日本大震災の岩手の保育所と閖上保育所(宮城県名取市)に学ぶ

2011年3月11日、午後2時46分。

東日本大震災発生時に岩手県内353か所の認可保育所には、およそ2万人の子どもがいました。震災後の調査に答えた保育所の84%が「午睡中だった」と答えています。布団の中で眠る子、起きてトイレに行く子、着替えをしている子。一日のうちでいちばんゆったりした時間に、あの揺れが来ました。

岩手県と日本ユニセフ協会が翌年にまとめた記録には、こう書かれています。

保育中の園児や勤務中の職員への被害は生じませんでした。(岩手県内の認可保育所)

この記事では、この結果がどのように生まれたのかを、公的な記録から読み解きます。そして、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)保育所が、どのようにして自分たちのマニュアルを書き直し、54人の子ども全員を守ったのかを紹介します。

最後に、いまのハザードマップをどう読めばよいのか。大阪市の南海トラフ津波の最新想定もあわせて整理します。

Contents
  1. 岩手の保育所は、訓練どおりに、そして訓練想定を超えて動きました
  2. 野田村保育所は、「15分では間に合わない」と計算していました
  3. 閖上保育所は、マニュアルを自分たちで書き直していました
  4. 釜石の子どもたちは、「想定にとらわれるな」と教わっていました
  5. 過去の犠牲から、学べることがあります
  6. ハザードマップは、2011年から大きく変わりました
  7. それでも地図は、「ここまでは来る」を示すものです
  8. 大阪市の南海トラフ津波は、2026年3月に想定が新しくなりました
  9. 想定を超えたときに効くのは、園で決めておく「もう一段」です
  10. 【現場からのひとこと】
  11. よくあるご質問
  12. まとめ
  13. 閖上保育所のような判断を、園ごとに一緒に組み立てます
  14. この記事の根拠
  15. 関連記事

岩手の保育所は、訓練どおりに、そして訓練想定を超えて動きました

揺れが始まると、保育士はまず子どもの頭と体を守りました。調査では87%の保育所がそう答えています。68%が給食室の火を止め、59%で所長・園長が園内を見回りました。

揺れが収まると、95%の保育所で全員の点呼と安全確認が行われています。

注目したいのは、その先です。

津波の被害を受けた沿岸の12市町村では、49%の保育所が、園の外へ避難しました。 内陸では82%が園内で待機しています。同じ県の中で、判断がはっきり分かれました。

しかも、沿岸の保育所は訓練の手順をそのままなぞったわけではありません。

  • いつもは全クラスがそろってから出発するところを、そろったクラスから出発した
  • いつもは揺れが収まってから外へ出るところを、揺れている最中に外へ出た
  • 決めていた避難場所に着いても、危ないと感じてさらに高い場所へ移った

記録には、「日頃の訓練通りにできた」と振り返る声が多い一方で、状況に応じた判断が必要だった、とも書かれています。訓練で何度も繰り返したことが基礎となりしっかりと染みついていた、よってその場で手順を組み替えられた。そう読める記録です。

震災前、ほとんどの保育所が月1回以上の避難訓練をしていました。これは法令上の義務でもあります。その積み重ねが、あの日の判断の土台になりました。

野田村保育所は、「15分では間に合わない」と計算していました

岩手県北部、野田村。海から500mほどの場所に、野田村保育所はありました。

一時避難場所の高台までは約1km。津波が来るまでの目安とされる15分で、乳幼児を連れて登りきるのは難しい——保育所はそう見積もっていました。

そこで、震災の前から手を打っていました。

  • 乳児10人が乗れる避難車を購入した
  • 畑を横切る近道を通らせてもらえるよう、持ち主の了解を取った

あの日は、偶然にも月に一度の防災訓練の日でした。津波は木造平屋の園舎を流し、門柱だけが残りました。園児81人と職員14人は、全員無事でした。

保育所はその後、以前より1kmほど内陸の、標高17mの高台に移って再開しています。

閖上保育所は、マニュアルを自分たちで書き直していました

宮城県名取市閖上。震災で700人を超える方が犠牲になった地区です。人口はおよそ5,000人でした。

その閖上にあった名取市立閖上保育所は、定員60人。あの日は54人の子どもが登所していました。保育所は津波で流され、建物は何も残りませんでした。

子どもも職員も、全員が助かりました。

このことは、当時の所長だった佐竹悦子さんが、研究者の田澤薫さんと共著で論文にまとめています(聖学院大学論叢、2015年)。以下は、その論文から読み取れる流れです。

きっかけは、一枚の白黒写真でした

佐竹さんが所長に着任してまもなく、地域の住民が年に一度行う津波訓練がありました。日曜日で、保育士の勤務日ではありません。それまで保育所の職員は参加していませんでした。

佐竹さんは、この訓練に全職員で参加することにしました。

会場には、85年前に3〜5mの津波が閖上に来ていたことを示す白黒写真が一枚、展示されていました。それを見て、津波は想像以上に怖いものかもしれない、と感じたといいます。

指定の避難場所を、全員で見に行きました

当時のマニュアルでは、津波のときの避難場所は近くの市営住宅(3階建て)でした。

訓練の帰りに、職員みんなでそのアパートを確かめに行きました。

  • 階段は5段ごとに踊り場がある、狭い造りだった
  • 3階には外廊下のような広い場所がなく、階段の両脇は個人のお宅だった
  • 留守であれば、足場ほどのすき間しかない。60人は入りきらない
  • 階段は4か所あるが、乳幼児を4つに分けると、子どもも職員も混乱する

「これはちょっと危ないね」。職員の間から、そういう声が出ました。

候補を一つずつ検討して、2km先の小学校を選びました

次に候補になったのは、1km内陸にある公民館と中学校でした。

  • 公民館:近くに、1994年の増田川の洪水で水が達した高さを示す標識があり、大人の背丈ほどの位置だった。2階建てでは安全を確保できないと判断した
  • 中学校:子どもたちが行ったことのない場所で、しかも町の中心で避難者が大勢集まる。発達に特性のある子にとって厳しい環境になると考えた

残ったのが、2km先の閖上小学校でした。

2kmを、どう移動するかまで決めていました

乳幼児60人で2kmは、歩けません。

そこで、職員の自家用車に分かれて乗ることを全員の共通認識にしました。小学校の手前には、ふだんから渋滞しやすい五叉路があります。そこを避けて農道を通ることも決めました。

こうして作り直したマニュアルを、消防本部に提出しました。全職員で読み合わせをし、一人ひとりが自分の車で実際に試走して、報告し合いました。

あの日、全員が津波の30分前に小学校に着きました

地震のとき、佐竹さんは外出先から戻る途中でした。揺れが収まるのを待って、2分ほどで保育所に着きます。

54人の子どもは、すでに園庭に集まっていました。午睡中だったので、パジャマのままです。全員の無事も確認されていました。

佐竹さんが出した指示は、三つでした。

すぐに逃げます。車を持って来てください。小学校で会いましょう。

10人の職員のうち5人が車を取りに走り、5人が子どものそばに残りました。大きなワゴン車には年長の子15人と保育士2人、軽自動車には1歳児6人がクラスごと。小さい子は小さい子だけで、年長児は大きな集団で。移動の中でも、子どもが不安にならない組み方をしています。

全員を見送ったあと、佐竹さんは緊急連絡網と児童台帳を取りに戻りました。保育所を出る直前、迎えに来る人がいるかもしれないと気づき、揺れの中で「小学校にいます」と書いた紙を玄関に貼っています。

このとき、防災無線から津波の放送はありませんでした。市役所の本体が故障していたことが、後にわかっています。

保育所の全員が小学校に着いたのは、津波が来る30分前。移動は10分足らずでした。津波が来たとき、子どもたちは屋上にいました。まわりを大人に囲まれて、押し寄せる水を見ずにすんだといいます。

論文は、これを「保育士の意思決定」と呼んでいます

論文は、閖上保育所の全員無事をもたらしたのは、公的に決められた行動の指針を見直すことも含めた、現場の保育士の判断だったと結論づけています。旧来のマニュアルがそのまま守られていたら、全員が被災を免れることはなかった、とも書いています。

そして、その判断の土台にあったのは、ふだんの保育で使っている力——子ども一人ひとりの今の姿から、計画を組み立てる力だった、と整理しています。

特別な防災の専門知識ではありません。「この子たちを、この階段で、本当に3階まで連れて行けるか」。保育士が毎日している見立てを、避難にも当てはめた。それが、54人を守りました。

釜石の子どもたちは、「想定にとらわれるな」と教わっていました

同じ岩手県、釜石市の鵜住居(うのすまい)地区。鵜住居小学校と釜石東中学校にいた児童・生徒およそ570人は、全員が無事に避難しました。

その日、小学生はまず校舎の3階に集まりました。手順どおりです。隣の中学校では、生徒が校庭へ駆け出していました。それを見た小学生も、ふだん一緒にやっていた合同訓練を思い出して走り出します。中学生は、小学生と保育園児の手を引いて逃げました。

最初の避難先に着いたあとも、建物の裏の崖が崩れるのを見た生徒が「もっと高いところへ」と伝え、一行はさらに上へ移っています。

釜石市では2004年から、群馬大学の片田敏孝教授の指導を受けて津波防災教育を続けていました。子どもたちが教わっていたのは、3つです。

  • 想定にとらわれるな
  • その状況下で最善を尽くせ
  • 率先避難者たれ

3つとも、マニュアルには書き込めません。とくに「想定にとらわれるな」は、想定を書いた地図や計画そのものを疑え、と言っています。閖上保育所がしたことも、野田村保育所がしたことも、同じです。

地元では、この出来事を「奇跡」とは呼ばず、「釜石の出来事」と呼んでいます。奇跡は真似できません。けれど、備えは真似できます。

計画が訓練を生み、訓練がとっさの一歩を生みます

ここで「結局は現場の判断だ」と結論づけると、話を取り違えます。

中学生が走れたのは、走る訓練を繰り返していたからです。小学生がついていけたのは、合同訓練という設計があったからです。そしてその訓練は、誰かが計画に書いたから行われました。岩手県の記録が、被害が出なかった理由の最初に「常日頃の避難訓練の実施」を挙げているのも、同じことです。

そのうえで、保育所には学校とは違う重さがあります。釜石の子どもたちは、自分の足で走りました。保育所の子どもは、走れません。0歳児は抱かれるしかなく、1歳児は手を引かれるしかない。岩手の保育所が持ち出したのも、おんぶ紐と避難車でした。保育所にとって避難とは、大人が子どもを運ぶことです。

だから「率先避難者たれ」は、保育所では保育士自身に向けられた言葉になります。閖上保育所で、揺れが収まる前から子どもを園庭に集めていたのも、保育士の一人ひとりでした。

過去の犠牲から、学べることがあります

ここからは、守れなかった命から学ぶ話です。誰かを責めるためではありません。同じことを繰り返さないために、記録に残されていることを見ておきたいと考えています。

ハザードマップの「外」にいた保育所がありました

宮城県山元町の町立東保育所は、海岸から1.5km、標高約3mの場所にありました。

当時の町のハザードマップでは、津波の浸水域の外。過去の報告書でも、この地区で浸水が届くのは海岸から200m以下と想定されていました。

地震のあと、保育所は町の指示を仰ぎ、待機を指示されます。津波が来たのは午後4時ごろ。地震から1時間以上がたっていました。車で避難する途中で、3人の子どもが亡くなりました。

のちの裁判で、仙台地方裁判所は、当時の想定を超える危険までは予見できなかったと判断しています(2014年3月24日判決)。

つまり、当時の知見と地図に従って判断すると、そうなる場所だったということです。閖上保育所の佐竹さんが疑ったのは、まさにその「地図と指定の避難場所」でした。

教訓は、地図の線の内側か外側かで、安心と判断してはいけないということです。

保護者に引き渡したあとに、失われた命がありました

岩手県の記録には、「保護者と一緒に帰った園児のうち数名が津波の被害に遭った」とあります。岩手県釜石市の検証報告書では、保育園児4人が亡くなっています(休んでいた子、引き渡し後の子)。

地震の直後から、保護者は次々と迎えに来ました。引き渡しは、ふだんの考え方では「安全な場所へ帰すこと」です。津波が迫っているときには、そうとは限りません。

岩手の記録には、大津波警報が出ている間は帰さないようにした保育所や、保育所と一緒に避難した家族の例も残っています。

教訓は、津波の警報が出ているあいだの引き渡しを、ふだんとは別のルールで決めておくことです。

ハザードマップは、2011年から大きく変わりました

東日本大震災のあと、ハザードマップの前提は三度、大きく見直されています。

年何が変わったか
2011年12月津波防災地域づくり法。最大クラスの津波で浸水を描くことに
2015年水防法改正。洪水は想定し得る最大規模の雨で描くことに。内水・高潮の制度もできた
2021年流域治水関連法。中小河川や下水道まで、浸水想定の対象を広げた

2015年の「想定し得る最大規模の雨」は、全国を15の地域に分け、それぞれで実際に観測された最大の雨をもとに決めています。国が管理する川の多くでは、1000年に1回程度の雨を上回る規模です。

山元町で使われていたような「過去の津波の範囲」で描いた地図とは、考え方がまったく違います。いまの地図は、最悪を想定して描かれています。

それでも地図は、「ここまでは来る」を示すものです

いまのハザードマップにも、描かれていないものがあります。作った側が、それを自ら書いています。

愛知県の洪水浸水想定区域図には、こうあります。

この図に示されていない区域においても浸水が発生する場合や想定される水深が実際の浸水深と異なる場合があります

対象にしていない川や水路、内水や高潮による浸水は、この図では考慮していない、とも明記されています。

2026年9月8日、名古屋市では1時間に104.5mmの雨が降りました。2000年の東海豪雨(97.0mm)を上回り、観測史上最大です。市の集計では、床上浸水279棟、床下浸水179棟(9月16日時点)。河川沿いだけでなく、市街地の道路や地下街も水につかりました。

地図の色がついていない場所にも、水は来ます。地図は「ここから先は来ない」という天井ではなく、「少なくともここまでは来る」という床です。

大阪市の南海トラフ津波は、2026年3月に想定が新しくなりました

では、大阪市の地図はどこまで信用してよいのでしょうか。

大阪府は、2026年3月31日に津波浸水想定を新しくしました。前回は2013年8月です。

大阪府の想定は、「堤防が壊れる」前提で描かれています

計算の前提は、次のとおりです。

  • 地震は国の最新モデル(2025年3月、マグニチュード9.1)。大阪府に影響の大きい4つの震源パターンに、大阪湾断層帯も加えた
  • 潮位は、台風期の大潮の満潮(高い潮の日)
  • 地震で地盤が沈むことを考慮
  • 防潮堤は、津波が越え始めた時点で壊れ、無くなるものとして計算
  • 水門は、自動化や職員の常駐で確実に閉まるもの以外は、開いた場合も計算
  • これらの悪い結果を重ね合わせて、一枚の図にしている

山元町の「浸水は200m以下」という想定とは、前提がまったく違います。

浸水面積は縮みました。ただし、縮まなかった区もあります

府全体の浸水面積は、11,072haから9,580haに縮みました。2014年度から10年かけて進めた、延長34kmの防潮堤の液状化対策の効果が入ったためです。

区浸水面積
新(旧)ha
1mの津波
到達(分)
住之江区1,069(1,174)106
西淀川区890(840)118
此花区703(816)110
大正区690(665)121
港区566(620)118
淀川区516(756)−
西成区440(499)−

西淀川区と大正区は、むしろ広がっています。また、海面が動き始める時刻は、大正区で65分から33分へ、西淀川区で66分から39分へ早まりました。

1mの津波が来るまでは、地震からおよそ1時間50分〜2時間。岩手の沿岸の約30分と比べると、時間はあります。大阪で問われるのは時間よりも、「どこへ行くか」です。

府が自ら書いている、地図の外側

大阪府は、想定の解説に次のことを明記しています。

  • これより大きな津波が起きる可能性がないわけではない
  • 色がついていない区域が、必ずしも安全というわけではない
  • 幅10m未満の川や水路は、遡上を計算していない
  • 地下街や地下鉄への浸水は考慮していない
  • 大阪市内の低い地域では、防潮堤が壊れていると、津波が収まった後も干満のたびに浸水が広がる。長い期間、水が引かないことがある

国の被害想定も、大阪市西部について、津波が引いた後も水が残り続けることを書いています。

上に逃げれば、命は守れます。けれど、その場所で何日も過ごせるかは、別の問題です。

大阪市のハザードマップは、まだ前回の想定です

大阪市の水害ハザードマップの津波は、2013年8月の想定のままです(市のウェブサイト、2026年3月23日更新時点)。

市のマップが新しくなるまでは、大阪府の新しい想定の詳細図で、園の場所を確かめておくのが確実です。

想定を超えたときに効くのは、園で決めておく「もう一段」です

岩手の保育所、野田村保育所、閖上保育所。三つに共通しているのは、地図や指定を出発点にしながら、自分の園の子どもで考え直していたことです。

いまのハザードマップは、2011年よりずっと厳しく描かれています。それでも、地図の外側は残ります。そこを埋めるのは、園ごとの判断です。

地図を読むときに確かめたい5つのこと

  1. 園の地盤の高さを知っている(国土地理院の地図で、住所から調べられます)
  2. 地図が何を前提に描かれているかを読んだ(雨の量、堤防が壊れる前提か、いつの想定か)
  3. 指定の避難場所に、実際に全員で行ってみた(階段の幅、入れる人数、鍵)
  4. 移動の方法と時間を、ふだんの子どもの足で測った
  5. その場所で何時間、何日いられるかを考えた(屋根、トイレ、水、寒さ)

当日の判断を支えるために、決めておきたい3つのこと

  1. 何が出たら、誰の判断で動くか(例:大津波警報で、園長の判断で出発する)
  2. 警報が出ているあいだの引き渡しのルール(帰さない/保護者も一緒に避難する)
  3. 「そろってから」ではなく「そろったクラスから」動いてよい、という取り決め

どれも、閖上保育所や岩手の保育所が、あの日までに、あるいはあの日その場で決めていたことです。

【現場からのひとこと】

私は20年間、大阪市消防局に勤務しました。救急救命士として、のちに救急隊長として、2万人を超える傷病者の搬送に携わっています。

東日本大震災のとき、私は岩手県にいました。災害活動に従事する側として。

353か所の保育所が子どもを守り抜いた、その同じ県で、私は助けに行く側の景色を見ていました。

だから大阪に戻り、その後震災の被害が明らかになる中で、岩手県の記録を読んだときの気持ちは、少し複雑でした。事前の対策によって多くの人命が救われた誇らしさと、それから「これは奇跡ではない」という確信です。

守れた園には、守れた理由があります。毎月の避難訓練を、午睡中の想定まで含めて積み重ねていた。おんぶ紐がどこにあるか、全員が知っていた。閖上保育所は、指定の避難場所を自分たちの目で確かめていた。

それは、真似できます。「奇跡」と呼んでしまうと、真似できないものになってしまう。釜石がその言葉を使わない理由も、そこにあるのだと思います。

よくあるご質問

Q. ハザードマップで色がついていない場所なら、避難計画は要りませんか。

A. 要ります。作成した自治体自身が「色がついていない区域が必ずしも安全ではない」と明記しています。また、水害以外にも地震・火災・不審者への対応は、どの園にも共通して必要です。

Q. 園のハザードマップが古いかどうかは、どこで分かりますか。

A. マップの凡例や注記に、想定の公表年月が書かれています。大阪市の場合、津波は2013年8月の想定で、大阪府は2026年3月に新しい想定を出しています。

Q. 大阪市で南海トラフの津波が来たら、園の3階に上がれば安全ですか。

A. 地点によります。浸水深と、その場所で何日過ごせるかをあわせて考える必要があります。大阪府は、低い地域では津波の後も水が長く引かないことがあると書いています。

Q. 保護者が迎えに来たら、引き渡してよいですか。

A. 津波の警報が出ているあいだは、ふだんとは別のルールを決めておくことをおすすめします。東日本大震災では、引き渡した後に被災した子どもがいたことが記録に残っています。

まとめ

  • 東日本大震災で、岩手県の保育所では保育中の園児・勤務中の職員に被害は生じませんでした。沿岸の保育所の49%が園の外へ避難し、訓練を土台にその場で手順を組み替えていました。
  • 名取市の閖上保育所は、指定の避難場所を自分たちの目で確かめ、マニュアルを書き直し、試走までしていました。54人全員が、津波の30分前に避難を終えています。
  • ハザードマップは2011年以降、最悪を想定して描く方向に大きく変わりました。それでも、地図は「ここまでは来る」を示す床です。
  • 大阪府の南海トラフ津波の想定は2026年3月31日に更新されました。大阪市のマップはまだ前回の想定なので、府の新しい図で園の場所を確かめておくと確実です。

閖上保育所のような判断を、園ごとに一緒に組み立てます

閖上保育所の佐竹所長がしたことは、地図と指定の避難場所を、自分の園の子どもで確かめ直すことでした。当事務所は、この判断をお手伝いしたいと考えています。

そのために、必ず園にお伺いします。園長先生や職員の方と直接お話しし、園舎、避難場所までの道のり、子どもたちの様子を拝見したうえで、いまの園の状況を踏まえて、一緒に対策を練ります。書類をお送りして終わり、にはしません。

計画は揃っています。訓練も続いています。その積み上げを土台に、「地図の外側」を園ごとに埋めていく。それが、当事務所がお引き受けしている仕事です。

訓練の前に、まず知る

訓練を動かすのは園です。当事務所がお届けするのは、その手前にある研修——①BCP周知 ②応急手当・救命講習 ③不審者対応の年3回です。事故・災害・犯罪のデータから「何が起きているのか」をお伝えし、そこから園に必要な訓練を一緒に考えます。5つの計画の作成と、所轄消防署・市町村への提出代理も含みます。

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この記事の根拠

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